Friday, 7 June 2013

日本のスポーツジャーナリズムに思う。

先日ワールドカップ本大会出場を決めたサッカー日本代表。
日本代表の特設サイトに掲載されているザッケローニ監督の手記を読んでみた。さすが経験豊かな監督だけあってチーム作りのアプローチについてや世界のサッカーについて深い考察で書かれており、とても読み応えのあるものだった。
イタリアではこれくらいのものが普通に新聞や雑誌に書かれているのだろうか。だとしたら、日本の記者は一体何を書いてるのだろう。

日本のスポーツジャーナリズムは野球の記事に影響されている印象がある。
日本のプロスポーツは野球が一番歴史が古いからそうなるのは当然かもしれない。
特にスターシステムが目立つ。見えないところで大きな働きをしてもなかなか取り上げられない。また実力に関係なく人気のある選手に取り巻くのが大きな特徴だろう。野球の場合、昔は個性的な選手が多かったし、話題性のある選手も多かった。それに記者としてはそういった選手を取り上げた方が記事が売れやすいし、楽なのは間違いない。 恐らくそうしてだんだんプレーの考察等をせずに話題性ばかりを求めるようになったのだ。
以前、野球についてID野球で有名な野村克也さんの本を読んだことがある。
その本は緻密に野球理論が書かれており、野球に対する考えを改めさせられた。そこで新聞やマスメディアの記事を読むと疑問符がついてしまうのだ。プレーについて結果に対する感想ばかりでどうしてそうなったかという分析がない。
野球の記事について野球の本場アメリカのジャーナリズムと比べても大きな開きがあるはずだ。

一方サッカー。サッカーも野球と大体同じ。読んでいて『それがどうしたんだ』という記事もよく見かける。
以前イビチャ・オシムさんが日本代表の監督だった時、記者会見でマスコミは全く相手にされてなかった。彼のサッカー議論についていける記者がいなかったのだ。ただ中にはきちんと勉強している記者もいて、そうした記者には往々にして対応は丁寧だった。
2010年南アフリカワールドカップの時はひどかった。日本の下馬評はかなり低く、当時の監督である岡田武史さんは相当叩かれており、グループリーグ全敗というのが大方の予想だった。ところが日本チームは予想外の大健闘で2勝1敗の成績でグループリーグを突破。日本チームは世界からも賞賛された。するとメディアはどうしたか?大きく手のひら返し、あるいはさも突破を予想していたと言わんばかりの態度をとったのである。自分達の書いたことはすっかり忘れてしまう。そんな無責任なことがあっていいものだろうか。

日本のジャーナリズムについてスポーツに限らず問題なのが、記者クラブという存在である。大手マスコミ各社だけで構成され、独占して会見を行い、その際のネタは平等に分け合う。日本のマスコミは特オチを嫌う。そのため、大手マスコミ各社は記事のネタ合わせをしたりしている。お互い出し抜かれないようにするのだ。その点、週刊誌がよほど立派かもしれない。彼らはスキャンダル見つけるために、年がら年中張付いてるわけだから(笑)

僕も昔はよくスポーツ記事を鵜呑みにしていた。こんな大きなメディアに書かれてあるのだから、いい加減は書いてないだろうと無意識に思っていた。しかしその考えが間違っていたということに気付いた時の衝撃と言ったら…。

それから僕はフリーのジャーナリストの人の記事に注目するようになった。またどんな記事についても自分で考えるようになった。
特に3.11以降、大手マスメディアの影響力は薄れてきているように思う。

メディアやジャーナリストには大きな責任があると思う。でもその前に見る側がそれぞれ自分の考えや見識を持って記事を見るようにすれば、日本のジャーナリズムも変わっていくかもしれない。今はネットもあるし、記事に対してごまかしが効かない。ジャーナリスト受難の時代かもしれないが、真のジャーナリストにとってはチャンスでもある。

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